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2011.10.29

OSN009東五軒町を離れる

岡田が東五軒町で過ごすのは、ちょうど大阪市公会堂の設計コンペの時までである。
1912年(大正元年)10月末がコンペの締切りであったが、11月始めに岡田家は同じ牛込区内の市谷薬王寺町14番地の借家に引っ越し、東五軒町の土地は売却してしまった。
(この頃は、母親、弟妹たちと同居していた)
岡田にとって東五軒町の家は懐かしい家だったはずだが、なぜ引っ越してしまったのだろうか。
当時の岡田の肩書は、早稲田大学教授及び、東京美術学校嘱託(講師)ということになるが、市谷薬王寺町は早稲田大学には近くなるものの、美術学校への通勤には不便になったのではないだろうか。

土地を処分したのは経済的な事情(弟たちの教育費など)か?とも想像されるが、何となく腑に落ちないところである。

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