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2011.01.17

歌舞伎座の音響7

歌舞伎座の音響4への補足)

内藤多仲の自伝「建築と人生」の中に音響学の発達に関わる記述があったので引用しておきます。

一九一七年、私がM・I・T(ボストン工科大学)に留学時代、ハーバード大学にW・Cセービン教授(故人)を訪問したことがある。(…)そのとき「建築音響学」の話がたいへん興味が深かったので、私は大学へのお土産のつもりで、スライド数十枚と論文集をもらって帰国した。これが日本に初めて音響学の導入となったわけである。これは電気音響専門の黒川教授に贈ったのである。(…)
その後、早大の黒川兼三郎教授(電気工学科)が渡米され、ハーバードやM・I・Tに留学中、音響方面の研究を進められたのがきっかけとなり、同教授の帰国後、大正十二年ごろから、建築科で、新設の建築音響学の講義が始められたのである。黒川教授のバトンを佐藤武夫氏が引き継いで、音響の実験的研究という新境地を開いた。

セービン教授とは、ボストンシンフォニーホール(1900年)の音響設計をしたことで知られるウォーレス・クレメント・セイビン(Wallace Clement Sabine)です。(Wikipediaに項目あり)

内藤の言うところに補足しつつ、年代を整理しておくと…。

1918年5月 内藤が帰国、Sabine教授の資料を持ち帰る → 黒川兼三郎に贈る(黒川は1916年早稲田の電気工学科を卒業した新進の学者。1917年に助教授か?)
1918年8月 黒川がアメリカ留学に出発
1921年1月 黒川が帰国
1921年11月 歌舞伎座焼失 → 岡田信一郎の設計により再建することが決まる
1922年6月 歌舞伎座着工(大林組施工)
1923年9月 関東大震災により工事中断
1924年12月 歌舞伎座竣工(翌年1月開場)

内藤は歌舞伎座の構造設計を担当していることでもあり、同学の岡田がSabineの音響学を全く知らなかったとは考えにくいと思います。
また、黒川兼三郎が学んできた最先端の音響学が、歌舞伎座の設計に採り入れられた可能性もあるのでは…。

※W.C.Sabineは1919年1月に死去し(従弟のP.E.Sabineが研究を引き継いだ由)、論文集"Collected papers on acoustics"が1922年に刊行された。同書は1900-1915年に発表した論文をまとめたもので、内藤が持ち帰った資料と同内容であろう。
※佐藤武夫は1924年に早稲田の建築科を卒業、同年助教授に就任。はじめは劇場史の研究をしており、大隈講堂の設計に関わるようになって、音響学に取り組むようになったとのこと、

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