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2010.05.09

綜合美術協会

大正13年(1924年)4月に行われた「帝都復興創案展」(国民美術協会主催)については、分離派建築会や創宇社、メテオール、ラトー、マヴォなどが出展した、ということでその名を知られている。しかし、この創案展に出展した「綜合美術協会」に注目した人は、これまでほとんど存在しなかったようである。(googleで検索したところ、1件もヒットなし)

しかし、岡田ファンとしては、「綜合美術協会」が気になっている。あまり資料も見当たらないようだが、少々調べたところを書いてみたい。

綜合美術協会は、関東大震災(大正12年9月)後、東京美術学校出身の画家、建築家らが結成したグループである。雑誌「中央美術」大正13年(震災の翌年)1月号に広告が掲載されており、会員は次のとおりである。

*岡田三郎助(絵画、東京美術学校教授)
*岡田信一郎(建築、東京美術学校教授)
*岡田捷五郎(建築、美校T9卒、信一郎の弟)
*諫早幹(建築、美校T12卒)
*塚本閤治(建築、美校図案科T9卒)(1896-?) ※山岳写真で知られる 
*太田三郎(絵画)(1884-1969)
*ルビエンスキー(装飾) ※ポーランド出身、「みずゑ」243(1925.5)に「波蘭の絵画と彫刻」を執筆
*平澤大暲(たいしょう)(絵画、本名平沢貞通)(1892-1987) ※小樽中M45卒、T8の第1回帝展に出品、帝銀事件
*鈴木亜夫(つぎお)(絵画、美校T10卒)(1894-1984) ※後に三岸好太郎らと独立美術協会を結成
*鈴木千久馬(絵画、美校T10卒)(1894-1980)
*伊原宇三郎(絵画、美校T10卒)(1894-1976)
*田口省吾(絵画、美校T4卒、美術評論家・田口掬汀の三男、作家・高井有一の父)(1887-1943?)
*堀江尚志(彫刻、美校T11卒)(1897-1935)
*安藤照(彫刻、美校T10卒)(1892-1945) ※ハチ公像で知られる

協会の連絡先は、岡田信一郎宅(牛込区神楽町)と田口掬汀の中央美術協会(目白長崎)になっている。上記の顔ぶれから察すると、岡田三郎助と岡田信一郎は、顧問格といったところだろうか。(創案展には吉田五十八も参加している。後から入会したのかもしれない)

立ち並んだ無味な建築物、乱雑に掲げられた醜悪な看板、何等の効果なき拙劣なポスター、或は道行く女の無理解な服装--其処に何一つとして都市の調和があらうか? そればかりではない。日常我々の手に触れ、使用しなければならないものに、或は勤め働き、休息する環境にどんな美観があると云へやうか?
吾々は敢然アトリエを出でゝ意義ある社会人として立働き、あらゆる人の要求を充たし、斯様な欠陥を補ひ、更に進んで社会の美化に勉め様とするものである。
具体的な活動として、一般からの注文に応じて低価格で趣味のよいデザインを行おうとしていた。

しかし、志とは裏腹に、あまり成果は出なかった。前記の「帝都復興創案展」の出展は美術界でもほとんど注目されず、実際に請け負った仕事では、工事代金を踏み倒されるといったトラブルもあったようである。

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コメント

太田三郎について補足:
http://www.inoha.net/archive/02taisho/page2/25-2992.htm
(INGという近代日本美術のデータベースサイト)

日本画を寺崎広業、洋画を黒田清輝に学び、1910年文展入選、1920-22年渡欧歴あり。

震災の前年に帰国していたと。1884生れで、この団体の中では、やや年長ということになります。

投稿: 本人 | 2011.01.23 09:27

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