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2010年5月の8件の記事

2010.05.30

三宅坂ビル

Minshu2
国会図書館の隣にあり、外壁を覆うモザイクタイルが特徴的な建物です。PENTAXの大きな看板が出ており、勝手にペンタックスビルと命名してましたが、三宅坂ビルが正しいとのこと。竣工は1965年。

現在、民主党本部が入っていますので、ちょっと物々しい雰囲気があります。

Minshu
現党首の祖父、故鳩山一郎氏はフリーメーソンだったということですが、屋上の目玉はそれとは無関係でしょうね、多分。

【参考】権力の館を歩く(御厨貴、毎日新聞)

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2010.05.29

歌舞伎座の音響6

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(歌舞伎座建替えまでは、写真の新橋演舞場が歌舞伎興行の中心になるようです)


新しい歌舞伎座の設計を担当する隈研吾は、東京新聞のインタビューで次のように語っています。(2010年3月6日)

客席数は一幕見席も桟敷席も含め変わりません。ただ、日本人の体格もよくなったから、座席は少しゆったりします。それと桟敷席を今よりもっと原型に近づけます。みんな桟敷が大好きだから。扉の寸法とかもう少し使いよくなる。

座席をゆったり取ることで劇場空間の容積が必然的に大きくなります。容積が変われば、当然音響効果も変わりますが、それを今と同じにするにはどうしたらよいか。これがものすごく難しい。

役者さんは自分の声がどう響くかにすごく敏感です。お客さんも「声が違う」とすぐ気づく。音響効果を変えないために、天井の曲面や素材を微妙に変えるという神業的な技術が必要です。

まあ音響についてはプロが考えるのだから、それほどヘボな代物にはならないであろう、と思います。…外観デザインの詳細はまだ公表されていませんので、どうなるかは心配ですが。(ぽん太さんのブログの記事「【さよなら歌舞伎座】隈研吾の建て替え案に一抹の不安」に私も同感です)

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2010.05.28

歌舞伎座の音響5

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中村芝翫さんがインタビューの中で「現在の歌舞伎座は歌舞伎を上演する劇場としては最上の音響」とした上で、次のエピソードを紹介しています。(「婦人画報」2010年3月)

(昭和26年の)歌舞伎座開場直後、1階の後方席に音が届かないという事態が発覚して大変な騒ぎになったんです。(…)劇場の音響というのは非常に難しくて、設計段階ではよくても、椅子を入れただけで音の響き方が変わり、お客様が入るとまた変わるのです。とにかく音が届かない席があったのではいけませんから、昭和28年の8月は、1カ月間休館して直したんです。

吉田五十八らしからぬミス、というべきなのか、もともと音響というのはそれほど微妙な問題、というべきなのか、素人の自分にはよくわかりません。
(写真は5月22日に撮影)

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2010.05.27

歌舞伎座の音響4

Okadasoturon
(2009年11月6日の記事の続きです)

岡田信一郎は学生当時、音響の研究をしており、大学の卒業論文も音響に関するもの(Architectural Acoustics)です。ただし、何分研究の進んでいなかった当時のことで、もっぱら海外の事例紹介に留まっているようです。(写真は東京大学建築学科の図書室にある岡田の卒論)

また、岡田が公表した論考としては「音響問題より見たる議院建築」(「新日本」1-1、1911年)があります。音響問題は非常に困難であり、「実験室内で取扱ひ得る範囲内のことは非常に研究されて居ても、一旦実際問題になると此等の学説も用を為さない」と前置きをして、次のように述べています。

(一)然る可き大さであること(原音が明瞭に到達し、且反射音が原音の邪魔にならぬ位の大さ) 
(二)室の長・巾・高の三つが互に簡単な比を為して居る事。
(三)音響の混錯を生じ易い隅々を隅切に為る事。
(四)壁面、天井等に凸凹出入を附して音響反射の方向を錯乱する事。
(五)適度の「共鳴」(レゾナンス)を与へる為に弾力性の材料(木材等)を適宜に用ひ、音響の鋭い反射を惹起す如き極めて硬度の材料を可成嫌棄する事等である。

「室の長・巾・高」については、「ハーモニカル・プロポーション」と言って、1:2:3とか2:3:4といった比例がよい、という説が当時あったようです。当時のレベルでは、経験に頼って設計するほかなかったと思われます。

歌舞伎座の設計は、この論考より、さらに10年ほど後のことですが、どの程度音響についての研究が進んでいたものか、私としては興味のあるところです。

関東大震災後に建設された早稲田大学大隈講堂が、「わが国で初めて音響学的に設計された講堂」(伊藤毅「音響工学原論」P630)と評されており、歌舞伎座が設計された時期は科学的な音響学の成立前夜であったと思われます。

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2010.05.26

根津美術館の茶室

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根津美術館の庭園には茶室が4棟ありますが、この中の「弘仁亭」は村井吉兵衛邸から移築したものだという話があります。

山王台(今の日比谷高校の敷地)にあった村井吉兵衛邸は山王荘と呼ばれ、その書院は比叡山延暦寺に移築されていますが、比叡山には茶室部分がありませんでした。茶室は移築しやすい建物なので、どこか別の場所にあるのでは、と推測していましたが、根津さんに引き取られたとは思い及ばぬことでした。(山王荘については、以前に書いた一文がありますので、いずれアップします。)

ちょうどお茶会をやっていたので室内の様子がちらっと見えましたが、奥に見える花頭窓は、「山王荘図集」(1927年)に掲載の写真と符号しています。

これで長年の疑問が解決!…かと言えば、そうでもありません。村井邸には、花頭窓のある広い茶室と、四畳半の茶室(裏千家の又隠写し)、一畳台目の茶室(今日庵写し)の3席があったのですが、根津美術館には今日庵写しが見当たりません。…という訳で、謎はまだ残されています。

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2010.05.25

根津美術館

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以前から気にかかっていた美術館です。「燕子花図屏風」(尾形光琳)の公開最終日ということで、雨の中、行ってみました。

公式サイト

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建物のテーマは「屋根」と「ガラス」かな…。

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2010.05.10

歌舞伎座引越し

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閉場した歌舞伎座。9日に行ったときは引越し中でした。伝え聞く話では、今日(10日)までが大道具類の搬出だったようです。


Kabukizadetail
正面部分にかかっていた提灯や幕が取り外され、隠れていた部分が見えるようになっていました。(ちょっと汚れてはいますが)
こうした職人技による細かな装飾は、取壊されてしまったら再現は困難なものでしょう。特に唐破風屋根の曲線を作るのにかなり苦労したという話が伝わっています。

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2010.05.09

綜合美術協会

大正13年(1924年)4月に行われた「帝都復興創案展」(国民美術協会主催)については、分離派建築会や創宇社、メテオール、ラトー、マヴォなどが出展した、ということでその名を知られている。しかし、この創案展に出展した「綜合美術協会」に注目した人は、これまでほとんど存在しなかったようである。(googleで検索したところ、1件もヒットなし)

しかし、岡田ファンとしては、「綜合美術協会」が気になっている。あまり資料も見当たらないようだが、少々調べたところを書いてみたい。

綜合美術協会は、関東大震災(大正12年9月)後、東京美術学校出身の画家、建築家らが結成したグループである。雑誌「中央美術」大正13年(震災の翌年)1月号に広告が掲載されており、会員は次のとおりである。

*岡田三郎助(絵画、東京美術学校教授)
*岡田信一郎(建築、東京美術学校教授)
*岡田捷五郎(建築、美校T9卒、信一郎の弟)
*諫早幹(建築、美校T12卒)
*塚本閤治(建築、美校図案科T9卒)(1896-?) ※山岳写真で知られる 
*太田三郎(絵画)(1884-1969)
*ルビエンスキー(装飾) ※ポーランド出身、「みずゑ」243(1925.5)に「波蘭の絵画と彫刻」を執筆
*平澤大暲(たいしょう)(絵画、本名平沢貞通)(1892-1987) ※小樽中M45卒、T8の第1回帝展に出品、帝銀事件
*鈴木亜夫(つぎお)(絵画、美校T10卒)(1894-1984) ※後に三岸好太郎らと独立美術協会を結成
*鈴木千久馬(絵画、美校T10卒)(1894-1980)
*伊原宇三郎(絵画、美校T10卒)(1894-1976)
*田口省吾(絵画、美校T4卒、美術評論家・田口掬汀の三男、作家・高井有一の父)(1887-1943?)
*堀江尚志(彫刻、美校T11卒)(1897-1935)
*安藤照(彫刻、美校T10卒)(1892-1945) ※ハチ公像で知られる

協会の連絡先は、岡田信一郎宅(牛込区神楽町)と田口掬汀の中央美術協会(目白長崎)になっている。上記の顔ぶれから察すると、岡田三郎助と岡田信一郎は、顧問格といったところだろうか。(創案展には吉田五十八も参加している。後から入会したのかもしれない)

立ち並んだ無味な建築物、乱雑に掲げられた醜悪な看板、何等の効果なき拙劣なポスター、或は道行く女の無理解な服装--其処に何一つとして都市の調和があらうか? そればかりではない。日常我々の手に触れ、使用しなければならないものに、或は勤め働き、休息する環境にどんな美観があると云へやうか?
吾々は敢然アトリエを出でゝ意義ある社会人として立働き、あらゆる人の要求を充たし、斯様な欠陥を補ひ、更に進んで社会の美化に勉め様とするものである。
具体的な活動として、一般からの注文に応じて低価格で趣味のよいデザインを行おうとしていた。

しかし、志とは裏腹に、あまり成果は出なかった。前記の「帝都復興創案展」の出展は美術界でもほとんど注目されず、実際に請け負った仕事では、工事代金を踏み倒されるといったトラブルもあったようである。

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