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2008.08.07

旧大阪高島屋2

以前に旧大阪高島屋(1922年竣工)について書きましたが、TAKATAKATAKAさんのブログによると、現在は地下部分の取壊しになっているとのこと。

TAKATAKATAKAさんは取壊し中にビルの調査を行っており、大正時代に高層建築の基礎をどう造っていたのか、新しい発見もありそうです。

当時の「建築画報」(13-11、1922年)にこんな記事が載っていました。
「十月一日から開館することになり(9月)廿六日から連日開店披露をすることゝなつたが同店では新館へ移転と同時に従来主力を注いだ服飾の方面は勿論衣食住全般に意を注ぐことゝなり他を凌ぐ一大百貨店とし[て]の準備が出来上がつた、地上百廿余尺の本館各階の坪数四百坪の七層には上海の出張所から送つて来る支那工芸品、ヴエリト写真の大家小野隆太郎氏[注:ゴム印画法を用いたというが、ヴエリトはその関連語か?]、洋画家三宅克己氏を顧問とする写真撮影部(十二月開始)及材料部、今まで江戸橋にあつた美術部をも合せ日用品食糧品装飾部、家具部の外地下室には私設市場をおき市の公設市場に対抗して毎朝七時から十一時まで新鮮な野菜や生魚肉類、乾物類などを廉売し同店は一文も儲けないといふから恐らく大阪で一番廉い日用品が買へるであらう、下駄履きのまゝお出入自由といふ所に新しい試みが窺へるこの開場は(10月)十日頃にならう、四階には来賓室、五階には喫煙室、六階には日本間美術室などあり七階は大食堂接待所でこゝからは樹木のある南大阪の姿が一眸に望まれる、其他屋上八階には「子供の家」「遊戯室」「園芸館」[注:演芸館??]「余興場」が出来ると」

「下駄履きのまゝお出入自由」とあるのは、地下の売り場(デパ地下のはしり?)のみでしょうか。当時はまだ下足を預かるのが一般的であり、高島屋の社史を見ても、下足を廃止したのは昭和2年(1927年)3月という記述があります(年表)。

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