2009.11.06

歌舞伎座の音響3

歌舞伎座の音響について、設計者側はどう考えていたのか。
戦災復興時に設計を担当した吉田五十八の書いた文章が「歌舞伎座」(1951年)に掲載されています。

「由来歌舞伎劇の劇場は例外なく全部が全部、格天井で(…)この前の歌舞伎座もその例にもれず格天井でありましたが、この度は前例を破て豪壮な吹寄竿縁天井としまして舞台から一幕見の席まで尾州檜の通し天井と致しました。そのために音響的には戦災前より数段とその音響効果が改善されました上、二本の竿縁の間に間接照明と夏冬の冷暖房とが装置されて居ります(…)」

「上部の大欄間には西陣苦心の特種織物が張られ、その後に隠された拡声機からは舞台の名ゼリフが皆さまの御耳に達することゝ存じます。また周囲の壁面は最新の吸音材料によつて音響的効果が考へられて居り、それを更に日本的文様に依て美化されてあります。」

前に紹介した「歌舞伎の舞台技術と技術者たち」では「ほとんど機器に頼らない、生音そのまま」と書かれていましたが、舞台上部にあるというスピーカー(拡声機)はどの程度効いているんでしょうか。

また、関東大震災後に竣工した歌舞伎座については、次のようなエピソードが伝わっています。

「其当時 講義の出来ない大講堂が出来たり、音響の徹底せぬ音楽堂が出来たりした際であつたから、音響で失敗したら岡田君の名声はフイになるであらうと心配したが、流石岡田君は此点は苦心して、自信ある様子であつたが、略落成した時に、幹部連が舞台で発声して、元の小屋よりは余程善いと賞賛して呉れたので、岡田君は大歓喜で僕に態々報告に来た(…)」  (正木直彦)

「当時は建築設計の面においても、音響に関する点等は一向に進んでおらず、成り行きまかせの感があつた。音響を生命とする劇場等でも、これに対する配慮が特になされたというようなことは聞かなかつた。兄(注:岡田信一郎)が新築の3階で開幕を知らせる冴えた木の音を聴いた時、はじめてホッとしたという(…)」
 (岡田捷五郎)

音響工学の研究が進むのは、おそらく昭和初め以降だと思います。岡田信一郎自身は歌舞伎座の音響について書き残していないようですが、当時の段階では、もっぱら経験的に工夫するしかなかったはず…。(今日でも音響というのは中々難しい問題のようです)

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2009.11.05

歌舞伎座の音響2

歌舞伎座の音響について、ブログ「猫並生活」さんに興味深いことが書いてありました。囃子の田中傳左衛門さんの話の紹介で、「いい音がでるようになるまでには木とコンクリートが枯れる時間が必要」なのだそうで、最低20年はかかるとか。今の歌舞伎座を建て替えた場合、同じ音を再現することはできない、ということになるんでしょうか。

さらにネット検索してみると、ブログ「音楽とのりものと・・・」さんに歌舞伎座でのベートーヴェン第九公演(2008年4月)の記事がありました。「歌舞伎座という箱物はとことんデッドな(殆ど響かない)音響環境にあり、このあたりが日本古来の芝居に適したつくり」だとのこと。(音楽ホールとは勝手が違って残響時間がほとんどなく、オーケストラの方にはやりにくかった模様です。)

こうした点を、音響工学的に見ると一体どういうことになるのか。一度専門家の方の意見を聞いてみたいところです。

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2009.11.04

歌舞伎座の音響

Kabukibutai38
最近気になっているのは歌舞伎座の音響面のこと。これまでちゃんと調べてなかったことを反省…

「歌舞伎座+音響」で検索してみると、「歌舞伎の舞台技術と技術者たち」(八木書店、2000年)という本をネット上で閲覧できました。
少し抜粋してみます。

「現在では松竹系劇場も含めほとんどの大劇場において、セリフの拡充などの音声の補強がマイクロホンやスピーカーなどの音響機器を用いて、当然のごとくなされている。だが歌舞伎座では、ほとんど機器に頼らない、生音そのままの古典歌舞伎が提供されている。」(P101、安西志保美氏)

「木製の大臣囲い、一面布貼りの客席の壁など、残響音を吸う要素がそろっているため、鳴物や三味線の音が響きすぎず、俳優のセリフの通りもよいのである。また、舞台天井から下がっている、六十本以上の密集する吊り物が、舞台上の音が逃げるのを防ぎ、客席に音を伝わりやすくしている。もちろん歌舞伎俳優の発声のよさもあるが、それを考慮に入れても、歌舞伎座はほかの歌舞伎の上演劇場に比べて、一階席から三階席の隅々までセリフがよく届く。…歌舞伎は生音が基本であるという考え方を大きく支えている劇場といえるだろう。」(P107、同)

「大臣囲い」というのは、舞台の両側にある設備で、義太夫を語ったり、囃子を演奏している場所のことです(←合ってますか?)。
歌舞伎座の音響がいいというのは定評があるようですが、この件は引続き考えてみたいと思います。

(同書から、もう少し引用)

「再開場当時二、三三二席(一幕見席を除く)あった座席数は、昭和57年の改装時には現在の一、九五六席に減らし、客席スペースにゆとりを持たせてある。」 (P102、出穂英理子氏)
 → 当時の資料と、現在の資料で客席数が違うな、と思っていたので、はっきりしました。

「歌舞伎座の機構は、美術バトンやセリ、スッポン、緞帳の昇降装置の電動化や、モニターの設置など、目立たない部分の変更を重ねてはいるが、基本的には昭和26年の再開場当時からほとんど変わっていない。古典歌舞伎の上演が中心の歌舞伎座では、現場スタッフの努力に支えられて、これだけのシンプルな機構で充分上演に耐えうるのである。」 (同)
 → 最近出た歌舞伎座写真集にはふだん見えない舞台裏が多く写されてましたが、伝統芸能を支えているのも職人技なんですね。

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2009.11.03

11月歌舞伎座

Kabukizayagura
11月の演目は「仮名手本忠臣蔵」。顔見世興行なので中央の唐破風の上に櫓が上がっています。(顔見世や櫓の由来については、歌舞伎座公式サイトの「歌舞伎こぼれ話」にも説明があります。)



Kabukizashokudo
歌舞伎座の裏に何やら古い建物があることに気付いている方もいると思いますが、茶色いタイル張りの「歌舞伎座食堂」です。
大正14年の震災復興時はまだ区画整理が終わっていなかったので、食堂は木造の仮建築としていました。昭和4年にRC造地階付き4階建で竣工したのがこの建物で、知られざる(?)岡田作品です。

隣の出光ビルを建替える際には、道路からもよく見えてましたが、今ではよく見えません。この写真はガラスが反射してしまってますが、一幕席に上がる階段室の窓から撮ったものです。

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2009.10.22

ヴォーリズ展

Voriesbyoin
近江八幡では11月3日までヴォーリズ展をやっています。公式サイト

ヴォーリズ展といっても、美術館でやっているわけではなく、伝統的な街並みの合間に数多く残るヴォーリズ作品を利用した近江八幡ならではの企画です。外観を見るだけ、というところもありますが、ふだんは非公開のヴォーリズ記念館などに入れます。

(写真は…謎ですが、無事で何より。今後も残っていてほしい作品です。)

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2009.10.21

旧名古屋銀行

Nagoyagin
栄駅近くにある旧名古屋銀行本店(昭和元年竣工)の設計者は鈴木禎次。巨大な列柱が特徴的で、いかにもクラシックな銀行建築のたたずまい。鈴木と言えば、セセッション風・赤煉瓦の岡崎銀行本店(大正7年)が思い浮かびますが、作風の違いは時代の変化でしょうか。

東海銀行、中央信託銀行、UFJ銀行などを経て、近年では三菱東京UFJ銀行貨幣資料館になっていました。平日しか開いていないので中々行く機会がなかったところ、今年になって資料館は別の場所に移転してしまいました。今は空き家で、三菱地所が所有しているようです。

建築学会からは保存要望書が出されていますが、この名品をぜひとも後世に残してほしいと思います。

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2009.10.20

日生劇場

Nissei
もう先月ですが、日生劇場のミュージカル・ジェーン・エア(主演松たか子)を見てきました。芝居はかなり波乱万丈なストーリーで(結構原作通り)、楽しめましたが、久々に日生劇場を見たい、という理由もありまして…。

日生劇場が入っているのは日本生命日比谷ビル。外観はそれほど劇場っぽくなくて、まあ四角いビルですが、細部に様式建築とは違った独特の装飾があって、かなり好きな作品です。

Nissei2
階段などのディテールには、以前に見学した目黒区役所(旧千代田生命本社)と共通する箇所があり、村野藤吾らしさを感じました。写真はトイレの窓から見える帝国ホテルです。

Nissei3
席は一番後ろの方で、舞台が遠い代わりに有名なアコヤ貝の天井はよく見えました。(レンズに光が入ってしまった)

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2009.09.05

博報堂旧本社

Hakuhodo
現地に「博報堂旧本館・旧第一別館解体工事」の看板が出ており、10月から解体が始まるようです。歌舞伎座に続く悲報です。

ヘリテージング見聞ログさんに博報堂の記事がありました。

それによると、博報堂DYホールディングズの平成20年11月の「四半期報告書」の中に「(株)博報堂は平成20年9月11日東京都千代田区に保有する旧本社ビルを老朽化のために解体し、近隣地権者と共同でオフィスビル中心の複合施設を建築する計画を本格的に検討することと致しました。」…

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2009.09.02

出石2

Izusi2
昭和13年に建てられた町役場の車寄せ部分がお城の前に保存されていました。現在は四阿(あずまや)のような状態ですが。(永楽館の看板が置いてありました)

元の建物は一体どういう状態で建っていたのか? 車寄せだけ移築したんでしょうか…? しばし首をひねりました。


Izusi4
明治25年に建てられた旧出石郡役所が資料館になっています(出石明治館)。柱頭部分を見ると擬洋風建築の特徴が現われています。

このほか、辰鼓楼の近くにあるそば屋が戦前の旧郵便局舎だということを帰ってから知りました。すっかり見落としです。

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2009.08.31

出石

Izusi1
出石といえば城下町。お城は山のふもとにあり、段状の曲輪になっています。戦国時代の山城が山頂の方にあるようですが、雨も降っていたし、時間もないので断念。

Izusi5
出石は伝統的建造物群保存地区になっており、辰鼓楼という時計塔が町のシンボルです。「出石そば」が名物ですね(そば屋以外の飲食店をあまり見かけず…)。

Izusi3
立派なお屋敷が史料館になっています。旧福富家住宅で、明治時代に京都から職人を呼びよせて建てられたものだそうです。

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