2016.09.11

古代ギリシャ展

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東京国立博物館の古代ギリシャ展を見てきました。9月19日まで。
公式サイト

ポスターにもなっている「漁夫のフレスコ画」(両手に魚を持っている)は、紀元前17世紀の作品で、テラ島(サントリーニ島)から出土したもの。海底火山の爆発で集落が火山灰で埋もれ、残ったそうです。

アルカイック時代、クラシック時代などギリシャ美術の流れがわかりやすく展示されていました。


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2016.08.31

岡崎表屋

先日の日曜美術館であいちトリエンナーレを紹介してましたが、会場の1つになっている連続水平窓のレトロモダンなビルが目を引きました。
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岡崎公園近くの国道沿いにある岡崎表屋というガソリンスタンドの本社で、戦後物件だそうです。(画像はGoogleマップより拝借)

あいちトリエンナーレは10月23日までのイベントで、他に名古屋のアートラボあいち大津橋(旧愛知信用組合連合会)、旧明治屋栄ビルあたりが(建物的に)気になりました。(公式サイト

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2016.08.30

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち

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イタリア関係の美術展が続きます。
国立新美術館で、10月10日まで。
公式サイト

ティツィアーノの「受胎告知」をはじめ、ティントレット、ヴェロネーゼといったヴェネツィア黄金時代の作品が来ていますので、必見ですね。

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2016.08.11

旧豊多摩監獄正門

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後藤慶二作品で唯一残っているのが旧豊多摩監獄(中野刑務所)正門。
中野刑務所跡地は公園や下水道施設などになっていますが、法務省の矯正研修所東京支所があり、敷地内にかつての正門部分が保存されています。

しかし、研修所は2017年に昭島へ移転する予定だそうです。
検索してみると、建築家協会の保存要望書(2015.12)がありますが、その後の経過はよくわかりません。
研修所跡地は中野区が取得して小学校にする計画らしく、正門の行く末が案じられます。
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2016.07.30

OSN117夏目漱石(続)

高校時代の岡田信一郎は夏目金之助の英語の講義を聞いたのか、という疑問を以前の記事で書いたが、その後、史料が見つかり、岡田のクラスを担当していたことが確認できた。

1902年(明治35年)9月から翌年7月の時間割が残っており(駒場博物館蔵)、それによると夏目講師が担当したのは、1年の6クラスと、3年の2クラスであった。3年では2部3年1組(工科理科)と2組(工科農科)で、名簿を見ると大学の建築学科に進んだ人物として、1組に岡田、笠原敏郎、井手薫、橋本勉、2組に倉田謙、本野精吾の名がある。
もっとも、(以前も書いたが)夏目が講師の辞令を受けたのは4月で、授業を始めたのは5月(?)、6月には試験で7月1日が卒業式である。講義は週2回(1組は水・金、2組は月・木)だったが、岡田たちが聞いたのは10回程度であろうか。
(笠原敏郎は卒業が遅れたので、内田祥三と同じクラスで1年間、夏目先生の講義を聞いたことだろう。)

この頃の夏目先生は次のようだったという。(江藤淳『漱石とその時代』第二部)

一高生たちにも、高いダブル・カラーをつけて尖の細いキッドの靴をはき、小柄な身体をそらせて「爪先ですっすっと廊下を気取って歩いていた」金之助は、洋行帰りの正札をぶら下げたようなハイカラ教師に見えた。

夏目先生が来る前は誰が英語を教えていたか、という点も気になっていたが、山川信次郎が前任だったようだ。山川は夏目の友人である。狩野亨吉と夏目、山川が同じ熊本の第五高等学校に勤めていた時期もある(山川と同行した小天温泉の旅は、後に『草枕』の元になった)。
狩野は1898年11月、一高校長に就任。山川は1889年9月から一高教授になり、夏目は1900年、ロンドンへ2年間の留学に出る。夏目が帰国する少し前の1902年10月、山川は女性をめぐるスキャンダル攻撃にあって、高校を辞任している(『漱石周辺人物事典』)。しばらく狩野校長が英語の代講をしてらしい。

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