2017.08.02

ベルギー奇想の系譜展

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Bunkamuraザ・ミュージアムの「ベルギー奇想の系譜展」を見てきました。9月24日まで。
公式サイト

お目当てはヒエロニムス・ボス工房の作品。トゥヌクダルスが眠っている間に地獄巡りをした、というテーマで、七つの大罪を犯した罪人たちが地獄で罰を受ける様子を描いています。
こうした絵は罪を犯さないよう戒めるために作られたのでしょうが、何か楽しげな感じも受けます…

ボス⇒ブリューゲルの流れはバベルの塔展でも出てました。

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2017.08.01

藤島武二展

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練馬区立美術館の藤島武二展を見てきました。今年は生誕150年だそうです。9月18日まで。
公式サイト

岡田信一郎が本郷曙町の藤島邸を設計したようなので、私(筆者)としては何か関係資料でもないか…と思ったのですが、特段なし。

もう一つ興味があったのは「蝶」のことで、今回も出展はされていませんが、図録に説明が書いてありました。
加藤陽介氏(学芸員)によると、藤島の代表作「蝶」と「芳蕙」は1967年(50年前)の藤島武二展に出展されており、当時の所有者は大里一太郎氏。それ以来2点とも所在不明とのことです。
大里氏はほとんど知られていない人物ですが、相当なコレクターだったようで、現在東京国立近代美術館にある中村彝の「エロシェンコ氏の像」は「大里一太郎氏寄贈」となっています。
Chou(画像はWikipediaより借用)


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2017.07.28

城東小学校

東京駅の前にある復興小学校(中央区立城東小学校)が9月以降に取り壊されます。

東京新聞の記事(7月23日)によると、中央区内には現役の復興小学校が4校(常盤、泰明、城東、阪本)ありましたが、城東小、阪本小は建替えになります。

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2017.07.25

OSN120小池駸一(続)

卒業式の終わったある日(1906年7月19日)、小池駸一と岡田信一郎は偶然日本橋で会った。
小池日記には「共に丸善まで行き、ここにて別れ帰る」といった簡単な記述のみであるが、おそらく就職のことが話題に上ったことだろう。小池は同郷の古市公威博士に就職のあっせんを依頼し、返事を待っている状態であった。岡田の方は警視庁(嘱託)に内定していたはずである(翌20日付で辞令)。
7月末になって、小池は韓国の京義線に就職口を紹介され、ここに決めた。10月14日に新橋を立ち、18日に京城(ソウル)に着いた。勤務先は杻峴(仁川の近く)にある鉄道建設部工務課であった。

小池は1913年(大正2年)1月、鉄道院に勤めることになり、東京に戻った。
1927年(昭和2年)には役所勤めを辞め、池上電鉄の技師になった。

岡田は1932年(昭和7年)に亡くなるが、訃報を聞いた小池は護国寺での葬儀に参列している(4月6日)。

大学卒業後、岡田と小池が何かで顔を合わせる機会はあっただろうか。それとも丸善での別れが最後だったのだろうか。
これまで読んだところから察すると、共通の友人はいるものの、特別親しかった訳ではなさそうだ。20年分の日記を読み通すのは、中々躊躇されるところである。   

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2017.07.24

OSN119小池駸一

岡田信一郎と高校3年のとき同級だった小池駸一(しんいち)というひとがいる。

1882年(明治15年)、東京生まれ。第一高等学校を経て東京帝国大学土木学科に進み、鉄道技師になった。中学時代の1896年(明治29年)から1966年(昭和41年)まで、70年にも及ぶ日記を遺しており、神奈川県立公文書館に所蔵されている。

もしかすると岡田のことが書いてあるのでは…と思い、高校入学から就職が決まるまでの7年分を中心に日記を読んでみた。
結果として、高校時代の岡田に関しては、特に記述は見あたらなかった(高校を卒業した後に若干記事がある)。
その代わり、建築学科に進んだ倉田謙(九州大学の校舎群が代表作)や井手薫(台湾にいくつか作品が残る)がしばしば日記に登場する。倉田はテニス仲間であり、井手とは学生寮で同じ部屋だったようだ。
岡田と同時代に身近なところで学生生活を送っていた人物ということになる。

以下、小池日記の一端を紹介するが、岡田ファンという偏った視点での記述になることはご容赦願いたい。
(なお、当時は高校・大学とも、9月入学、7月卒業である)

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